『にき鍼灸院』院長ブログ

不定期ですが、辛口に主に鍼灸関連の話題を投稿しています。視覚障害者の院長だからこその意見もあります。

人の悪口は嫌いなのですが

 最近たまたまですが、治療中の患者さんが二人連続で交通事故に遭遇されてしまいました。もちろんお二人とも鍼灸治療の優秀性を認識されていますし病院での待ち時間には耐えられない自営業の方ですから、明くる日からは交通事故を中心とした治療となっています。

 今回はこの経験から色々と思うところがあり、まとまらないかも知れませんけど書いてみます。今回は表現が混乱しないように敢えて「むち打ち」と記述します。
 まずは呼び方について。「むち打ち」といってもそれは症候名であり、病名ではありません。保険請求の段階では「肩こり」「五十肩」「腰筋捻挫」など症候名ですから「むち打ち」という名称には文句ありません。首がムチのようにしなってしまいその後に不具合が生じているということが名称からすぐ分かるので、不随症状が特定できないことからもこれでいいと思います。
 むしろ「腰筋捻挫」という全く訳も分からなければ実体もない症候名がまかり通っていることの方に矛盾を感じます。それから「座骨神経痛」も症候名でありますが、これは上位疾患が容易に特定できるのに、直接に病名を記載することなく症候名のままでいいというのも矛盾しています。これだけでもいかに診療報酬配分が不適切かであり、訳の分からないことには目をつぶってごまかしているかを裏付けています。

 さて「むち打ち」に話を戻します。助手時代からも開業当初からも変わりないことなのですが、証決定をして全身バランスの調整が我々の治療ですから、特にという処置はありません。証決定さえ正確であれば本治法のみで「むち打ち」の症状のほとんどが取れるので、選経・選穴で治療は決まります。多少は局所への施術を増やしてはいますけど、これは気血津液の巡りを寄り改善したいだけの話であり患者さんの安心感のためのサービスではありません。安心感のためのサービスとして「偽はり」をすることはありますけど、最短宰相で治療を完了するのが我々の使命ですから、症状に振り回されるようなことをしてはなりません。「ていしん」では、それもごまかせないのではありますけどね。
 しかし、毫鍼を深く刺すいわゆる刺激治療でも、「むち打ち」はかなりの率で完治しています。これはダメージを受けた筋組織に対して直接的な施術ができるため、適切な刺鍼深度であれば過度な緊張を緩和し事故修復能力を高めているからでしょう。けれど刺しすぎというのか、深く刺すばかりでは逆に組織を傷つけることもあるでしょうし事故修復能力を阻害しかねませんので、あくまでも適切な刺鍼深度であり適切な本数でしょう。これは手の感覚に頼るしかないので、治療家によって効果にばらつきが発生するのは避けられません。

 一方の西洋医学ですが、レントゲンでは何も移らないでしょうし検査も何もでてこないでしょう。肩こりの親戚なのですから、これは当然です。「むち打ち」に対する処置は筋組織の緩和を狙った服薬であり注射なのでしょうけど、積極的には用いられていないということは危険性が高いこととそれくらいの効果であり決定打ではないということです。その証拠に低周波を当てたり牽引するなどリハビリテーションの分野へすぐ送ってしまい、対処療法しかないことを自ら証明しています。
 ここから今回のことで強く感じることです。西洋医学は「むち打ち」に対して無力だということが分かっているのに、診断書を平気で書いていること。そして多額の診療報酬も受け取っていること。鍼灸院へは同意書を書いてなどくれませんし、損害保険の会社もどこをどう解釈したならそのような見解になるのか鍼灸治療へは支払いができないとか立て替え払いの返金なら応じてもいいとか。

 私は人の悪口を言うのが嫌いです。自分が喋った分だけは必ず喋り返されているはずなので、自分のことを悪くはいわれたくないからです。それに人の営業妨害も、自分へ跳ね返ってくるのでしたくはありません。「長いものには巻かれろ」と平凡で無風地帯の人生を臨んでなどおらず鍼灸を世界の医療へ押し上げたいという野心をもっているからこそ、人の悪口は言いたくないのです。
 しかし、今回のことでは腹が立って悪口に受け止められることを書いています。「むち打ち」には効果のない西洋医学へ平気で通ってきなさいと命令していますし、通わせようとしている保険会社がいます。全くの無駄遣いです。いや、西洋医学のお医者さんはお医者さんの立場として努力されているのかも知れませんけど、「適切なその他の分野の医療を紹介できることもいい医者の条件である」ということは、すっかり忘れ去られている感じですね。

 そして、一番腹が立ち矛盾を感じていることです。救急救命センターや分娩など命の瀬戸際で懸命に努力されている現場とパートに任せて報酬だけが転がり込んできている現場で診療報酬が同じだということには納得ができません。人の世話をしている介護や福祉の職種では賃金が低く、その一方で遊興施設を経営して莫大な利益を得ている人がいる現実にも似ています。どんな職種を選びどんな現場で働いても労働そのものの価値を他人が決定することはできませんけど、命の瀬戸際という現場は体力的にも精神的にも負担が大きいのですから報酬が高くなければ引き合うものではないはずです。
 命の現場には大きな報酬を与えればそれだけ優秀な人材も集まりますし、それが西洋医学の使命だと書けば外から勝手なことをと非難されるかも知れませんけど、一般民衆が臨んでいることから外れていないでしょう。もっとリソースを集中させるやり方を、行政も医者の団体も真剣に取り組むべきです。

 我々の鍼灸ですが、まずは保険診療の対象外であるとか安定収入がないなど文句を並べるのではなく自らの技術力向上を最優先課題とし、免許後進性を導入して研修会参加を義務にして学も術も底上げを強化すべきです。義務参加を打ち出すと必ず「離島や田舎は交通費が莫大になる」とか「小さな子供がいたり介護があるので家を空けられない」とか「視覚障害があるので頻繁には外出できない」など、なんだかんだと否定的な意見が出てくるのですけど、飯の種なのですから「でてこないと免許停止にする」と宣言すれば年間で数日の研修会に出席できないはずがありません。免許後進性と研修会義務参加は、絶対条件です。これは学校教員や医師にも同じことが当てはめられます。
 研修会が義務であるなら、そこからは優秀な人材が頭一つ抜き出てきます。鍼灸とはハンドワークアートと表現されるくらい手の技術なのですから、実技を伴った研修会であれば優秀な人材の方からでてきます。その人たちが牽引力となり、鍼灸というものの価値や有用性について一般市民へのアピールが浸透すれば勉強をしている鍼灸師を市民も求めるようになり、いい循環へとつながると期待できます。