『にき鍼灸院』院長ブログ

不定期ですが、辛口に主に鍼灸関連の話題を投稿しています。視覚障害者の院長だからこその意見もあります。

今必要なものは勤勉さ

 鍼灸院の「院長ブログ」でありながら、最近はすっかり時事ネタブログではないかというほど前ふりがながく鍼灸のネタはくっつけているくらいになってしまっているのですが、今回も時事ネタの方が長くなってしまいそうです。

 2010年1月14日のニュースでは、東京都教育委員会が都内の小学校と中学校の土曜日授業を容認と大きく報じていました。平成二十二年度から教育指導要領が改訂され、授業時間が大幅に不足することからの容認処置とのことです。ですから、月二回が限度らしいですけどね。
 これは「ゆとり教育」を掲げたのに、ゆとりだけ謳歌して学習能力は低くなってしまった結果に対する反省なのでしょう。それよりも「ゆとり教育なんぞ机上の空論やないか」と実施前に散々反対意見があったのを押し切ってきた当時の文部相に対する責任追及はされないのでしょうかね。もっともその当事者たちは定年退職をしてしまったあとかも知れませんけど。

 それで土曜日の学校復活についてなのですが、私は大賛成です。できることなら二年後に娘が小学校へ入学する前に、全国で完全実施に戻して欲しいと強く希望しています。
 昭和四十年生まれの私が卒業するまでずっと土曜日にも学校へ通っていたことに別に不満はありませんでしたし、むしろ土曜日が半日だけというのが嬉しくて逆に色々な計画ができたものです。ずっと滋賀県立盲学校でしたから小学・中学・高校・専門課程と十五年間も給食を食べ続けていたわけですが、給食のない日には「早弁」を楽しみましたしラーメンを外へ食べにいけたりなど土曜日の存在は大きかったものです。

 では、どうして学校の週休二日制が導入され高菜のですけど、これは単純に欧米のシステムを真似したからでしょう。昭和四十年代は企業も土曜日の仕事が当たり前だったのですが、石油ショックの影響もあって週休二日制が導入され定着するようになると、公務員の週休二日制も導入されてきました。すると学校教員だけ同じ公務員なのに週休二日制でないことは不公平であり、親も参加する学校行事が日曜日だけに縛られることに不満もでてきたのでしょう。そして当時「働き蟻」といわれていた日本人ですから、もう少しゆとりを持ってということでの「ゆとり教育」につながってきたことなど教育の専門家でない私にもすぐ分かることです。
 けれど、ここに「机上の空論」があります。まず企業とは違って学校には長期休暇が存在します。これは子供時代にはとても大切な時間であり、親子のふれあいという意味でも貴重な時間で絶対に必要だと思います。しかし、夏休みと冬休みは欧米と共通なのですが、四月に年度替わりを迎える日本には職員の移動やクラス替えや進学のために春休みが必要となります。九月に年度替わりをする欧米のシステムでは、春休みは存在していないのです。ここを計算に入れず週休二日制にしてしまったのが、「机上の空論」なのです。
 くどいですが計算をしてみましょう。進学を控える学年となれば実質的な授業は十二月までに終了してしまいます。ここは仕方ないとしても、その他の学年でも三月の授業というのは付け足しみたいなものですから、三月の四週間と四月の一週間が欧米より授業時間数が足りないこととなります。そこへ半日ですけど土曜日の授業を抜いてしまったのでは、欧米と差が広がって抜き去られて当然です。いや、日本だけが後退したのでしょうね。逆に書けば欧米では日本よりも五週分の授業が多いので、週休二日でも十分なのです。

 そんなことも分からずに学校の週休二日制が導入されたなら、一体どうなったかです。毎週連休となるのですから子どもたちの野外活動が増えて良かったように思えますけど、スポーツ少年団などでは「連休だから遠征しよう」とか行事ばかりが増えて子どもは疲れてしまい、親の費用負担も増大しました。野外活動をしない子どもは時間が余るので、ゲームセンターに通ったり家でパソコンやビデオばかりと子ども同士の遊びをしなくなってしまいました。また学習時間が足りないのですから、上を目指す子どもも授業に付いていけない子どももどちらも塾へ通わねばならず、子どもは深夜まで外出しなければならないので疲れますし携帯電話を持たせることで親の費用負担はダブルパンチです。それから子どもの携帯電話利用での害も発生します。
 そして学校教員も「同じ公務員なのに夏休みにはいい加減な出勤でいいのか」と指摘され、子どもが登校してこないのにいつもの授業開始時間には職員室へ集合していなければならないという変な光景になっています。それに週末は警備保障でガードされてしまうため自由に校舎へ立ち入れず、部活はある程度できるとしても生徒会活動や教員の仕事には大きな妨げとなってしまいました。
 いつまで書き続けていても解決にはつながらないので、ここで一度目の結論です。年度替わりが変更できないのであれば、学校は土曜日を復活させねばなりません。今の日本に大切なことは、「ゆとり」ではなく「勤勉」でしょう。日本人は勤勉であったからこそ製造業での強みを発揮してきたのであり、資源を持たない国の民は勤勉に働くことです。土曜日の学校が復活すれば親の負担は減少し、家系も楽になりますから生活水準もまた上がってきます。フレックス勤務が一般企業では既に導入済みなのですから、土曜日の授業の分だけ長期休暇中は教員のフレックス勤務を認めるという肝要さでいいのではないでしょうか。

 さて鍼灸へと筆の方向を転換します。業界では有名なことなのですけど、それまでは視覚障害者の職業保護という瞑目で鍼灸学校の増設が認められてこなかったものが十年前に柔道整復師学校の新設に関する裁判結果から鍼灸学校も新設ラッシュとなり、今や生徒不足でつぶれてしまう学校が相次いでいるくらいです。ということは、誰でも入学希望さえ出せば鍼灸学校へ入学できるというのが現状であり、鍼灸師の質の低下は当然のごとく発生しています。
 人間を人間が治療するということは学習能力以外の面も当然求められることであり、入学が困難だった時代でも「どうしても想像していたものとは違って肌に合わないから」とドロップアウトする人が数パーセントは発生していたのですが、今は学習に着いていけないからと三割もの人がドロップアウトしています。そして国家試験合格率が学校の評価につながりますから、実技時間を削って国家試験のための勉強だけをさせているというのも現状です。ひどい学校になれば、学生時代に鍼を手にしたことが数回しかないというところさえあるくらいです。それでも国家試験の合格率が下がっているのですから、これを改善しようと本腰を入れない業界の方もひどい。

 内部のことを書き続けているのは私としても恥ずかしいので、こちらも結論へと進めます。まずは鍼灸学校も土曜日を復活させ、増加した時間数は全て実技に義務づけます。また外来診療も義務とします。これらを踏まえて国家試験での実技の復活です。これで誰でも入学できた中からは五割がドロップアウトするようになってしまうでしょうから、鍼灸学校は淘汰されてしまいます。つまり、ペーパーの勉強だけでなく実技もしっかりできる学校だけが生き残れることとなります。少子化の時代なのですから、十年前の水準に戻るのがベストだと思っていますけどね。
 次に各種の研修会参加を、単位取得の義務項目に入れることです。臨床家の中での勉強は生きた知識となり、礼儀作法を根付かせたり最新情報の収集にも役立ちますし自分の目指したいものがしっかりするのでいいことづくめです。これは教員の免許継続項目にも加えることです。
 それから業界トップはもちろん研修会を主催する人たちは、「鍼灸の科学化」ではなく「鍼灸技術の客観的評価と育成」へと方向転換すべきです。私の挑戦としては滋賀漢方鍼医会における講義の閲覧ページで各種資料を公開しているのですけど、特に腹部を用いた衛気・営気の手法修練法は手技の客観的評価を初めて可能にしたのではないかと自負しています。
 また毫鍼を否定していませんし刺鍼技術というのはとても大切な鍼の奥義なので今でも練習をしていますけど、「ていしん」のみでの治療を漢方鍼医会の多くの会員が実践しています。患者さんは鍼灸治療を求めていても鍼を刺して欲しいわけではないので、深く刺鍼することにこだわるのは鍼灸師側のエゴに思います。「痛みのない治療」と宣伝しながらも、毫鍼を用いる限り痛みをゼロにすることができないのなら、業界全体として「痛みの発生しない治療器具を用いる」という発想の転換はされないものなのでしょうか?ただし「ていしん」による治療実践には、勤勉なる研修会活動が必須です。