『にき鍼灸院』院長ブログ

不定期ですが、辛口に主に鍼灸関連の話題を投稿しています。視覚障害者の院長だからこその意見もあります。

点字と点字プリンタのレンタル

 今回は鍼灸とは直接的には関係ない話題になります。
 しかし、鍼灸とは手の芸術=ハンドワークアートとも表現されるくらいで繊細な動きが要求され、しかも診察・診断には触診の占める割合が非常に大きな技術ですから視覚障害者にはとても有利な条件が整っており、江戸時代より活躍された先人の功績に感謝するばかりです。
 そして養成学校の規制緩和により、圧倒的に晴眼鍼灸師の数が増えた今でさえ技術的なリードを視覚障害者の鍼灸師がになっていることに誇りを持っています。もちろん晴眼鍼灸師にも優れた技術と人格を備えた人は多く、お互いに手を携えてゆくことが一番大切だと考えています。

 どうして視覚障害者の鍼灸師に技術の優れた人が多いかですが、目が見えないために集中力があるとか転職不能なので背水の陣で取り組むため気迫が違うなど色々な要素があると思いますけど、一番大きなことは鍼灸の世界に入る前から触覚訓練ができていることだと思います。
 つまり、点字を触読しているということです。

 毒舌で知られた福島弘道先生は、「いい鍼灸師になりたければ目をつぶしなさい」と平気で言い渡していましたけど、治療室を見学させてもらった時に一緒にいた大阪から来ていた晴眼者の先生は「次までにつぶしておきます」とこれまた平然と返答されていたのでさすがは大阪人という感じで笑わせてもらいましたが、脉診が少しでもわかるようになるまでにはとても苦労したといわれていました。
 私はといえば、先輩に学校の空き時間でモデル治療をしてもらった時にいきなり脉の変化がわかったのです。何がどのように変化して、それがどんな影響になるのかなど全くわかりませんでしたけど、とにかく脉が変化することに驚いてその瞬間にその後の人生が決まったのです。
 これは高校一年生の時に、強引に点字使用へ切り替えたことが幸いしたのでありました。

 点字についての詳しい説明はこちらのページを参照していただくとして、点字を修得するのに最も困難なことは触読です。
 中学までは拡大鏡が必須ではありましたけど普通文字で私は学習していましたが、高校に入学して間もなく原因不明の強烈な眼球痛に見舞われました。瞼を開いていることさえつらいほどの痛みであり、「このまま普通文字を使い続けたなら失明してしまう」という危機感からクラスメートが誰もいない一人だけの学年だったことも幸いして強引に点字へと学習文字を切り替えたのでありました。
 「血のションベンが出る」とは関西弁の「それくらい苦しいぞ」という表現なのですけど、小学校から盲学校に通っていたので点字の文法は知っていましたし書くこともできていたのですけど、その経験がなければ血のションベンが出たかも知れないほど慣れるまではとても苦しい触覚訓練となりました。
 何せ一分間の換算で、普通文字(墨字)なら初見で朗読をしても400字、急いで黙読すれば800字読めるといわれるのに、点字は150字読めれば実用レベルだとされているのです。小学生から点字のみで学習していると早い人なら400字も越えられるとのことですが、高校生になって突然切り替えた私は当初100字がやっとだったでしょうし、数年後の最高速度でも200字に届かないくらいですから、二十五歳を過ぎてから点字修得をした人がどうしても速度が上がらず「血のションベン」を本当に出した人がいるかも知れません。
 それくらい点字の触読は困難なものですから、追いつめられないとできるものではありませんね。

 私の二つくらい前の世代の先輩たちは、盲学校の小学部に入ると視力が相当に残っていてもまず点字の触読を強制されたとのことです。これは将来に備えての訓練という位置づけでしたが、その後は墨字の知識習得を遅滞させないようにと多くの時間は割かないようになったので学齢で進学しても墨字の扱える視力があるなら触読はできませんし、中途失明者もまずはパソコンでの学習が優先になっているので点字使用者は減少しているのが現状です。
 さらに私自身もそうなのですが、ピンディスプレイが発達してきたので紙にプリントされた点字そのものに触れる機会が少なくなってきています。
 それでも、点字がそこそこ扱えるのであればじっくり勉強したい時にはやっぱり紙に印刷された点字が一番であり、講義を聞く際にも点字の資料があるかないかでは随分と理解度が違うものです。

 点字を書くことは、直接扱ったことがなくテレビでしか見たことのない人には一つ一つ筆で紙を押して書く点字板をイメージされるでしょうけど、これは自分一人用の筆記具です。メモ感覚で書けますし携帯にも便利です。個人用の筆記具としてタイプライターを用いるケースも多く、音が大きいですけど早く大量に打ち込めるだけでなく厚手のハガキやネームテープへの打ち込みも楽なので、使い分けている人がほとんどです。またピンディスプレイ付き携帯型点字バイスも発達してきています。
 そして点訳ボランティアといえば、点字板でこつこつ作業をされているイメージが強いでしょうが、現代はパソコンでの点字エディタでデータのみ製作し印刷は点字プリンタが用いられていますから、さらにそのデータはインターネットで検索とダウンロードができるため、前述のようにパソコンでの点字エディタだけでなく個人レベルでもピンディスプレイが発達してきましたので、点字のペーパーレスという方向も進んでいます。

 それでもこだわりたいのが紙に印刷された点字
 普通文字であってもパソコンや携帯電話の画面上で用件は足りますし画面へ直接メモ書きを加えられる機種も増えているものの、「これは」というものにはプリントアウトをしますし、そこへメモ書きを加えたりしているのと全く同じことと考えていただければいいでしょう。
 点字プリンタのない時代には、亜鉛塩化ビニールの折り目の付いた板に原盤を専用の機械で人力を駆使して打ち込み、昔の洗濯機に付いていた脱水ローラーのような機会へ通して、要するに上下から強烈に押さえ込んで点字を刻印していたわけです。
 初めてコンピュータ制御で動く点字システムは、きっと行政関係の補助金を受けて製作されたものすごく巨大な機会だったことを覚えているのですけど、決してコストが安いとも読みやすいとも表現できないロール紙に印刷された点字でした。それでも点字競技会の練習をするために朝からデータを打ち込んで点字がすぐプリントアウトできることに、みんなすごく驚いていたことも覚えています。

 そしてパソコンでの点字エディタの時代となり、それまでの書き損じを恐れていたものからいくらでも試行錯誤をしながら文章が直接編集できるようになって、DOSパソコンが自宅に届いた時には嬉しくて四日間もとりつかれたようにいじくったものでした。テキストファイルから大まかな点字へと変換してくれる自動点訳ソフトの登場も画期的なことで、墨字と点字の同時製作を可能にしてくれました。
 プリンタもパソコン接続の時代となって発達史、、片面印刷だけでなく両面印刷のものや切り替えられるもの、墨字も同時印刷できるものなど多様化してきました。

 最後に残った課題は、コンパクトなものが出てきているとはいっても墨字のインクジェットなどに比べれば点字プリンタは遥かに設置面積が大きく、そして高価であること。
 頻繁にプリントアウトが必要なので個人所有されているケースはありますけど、点字図書館などへ依頼するのにフロッピーディスクを郵送しなくてもメールの添付ファイルで即座に転送できる時代になったのですから、プリントアウトしてもらって郵送してもらう時間を考えても資料が必要となる前日までにデータ製作を終えておけば通常なら公共の機器で用は足りています。
 しかし、歯がゆいことに研修会では直前に集められるデータや結果報告などの資料配付が重要なことが多く、この点だけは墨字のフットワークの軽さとコピーの手軽さにはどうしても追いつけませんでした。

 開催まで間もなくとなった第15回漢方鍼医会夏期学術研修会 滋賀大会において、二日目に開催される実技シンポジウムは昨年の反省からビデオプロジェクターで手元を拡大投影したりエクセルに記入した予診表をコピーして配布するなど準備したのですけど、ここまでやったのですから強い要望があったのに「できまへん」と門前払いしていた点字版の予診表配布がどうにかならないかと模索してみました。
 点字図書館では移動できるようなタイプを所有されておらず、常時稼働しているのですから貸し出しそのものが無理とのこと。会場から一番近い所有施設で朝一番にプリントして自動車で配達してもらっても、時間的にはアウト。
 「もうこれはタイプライターを人海戦術でガチャガチャやるしかないのかなぁ」と諦め掛けていたのですけど、半分やけくそで「点字プリンタ レンタル」でインターネットを検索すると、そんな都合のいいページはヒットしてきません。
 ところがアメディアよむべえ レンタルサービスというのがヒットしてきました。「音声読書装置をレンタルしてくれるなら点字プリンタは」とダメで元々と電話をしたところ、最初に取り次いでくれた女性は困惑した声になったのですけど次の男性がOKを出してくれたのです。しかも無償でのレンタルとのこと。
 もちろんそれなりの条件は付いているのですが、それはブログ上で公開にふさわしくないので割愛するとして、本当にこのサービスを受けられたことは天からの恵みのようであり、嬉しくて一日中小躍りしてしまいました。

 二年掛かりで準備してきた夏期研ですから、これで悔いを残さない手はずが全て整いました。特に視覚障害者の先生たちに対する配慮でいつも落ちてしまっていたところを突破できたことは、来年以降の準備に道しるべが残せたので研修会へ参加してくる視覚障害鍼灸師の割合が近年極端に落ちてきていることへ歯止めとなるようなきっかけともなるでしょう。
 まとまりがなくなってしまいましたが、長文になったので今日はここで筆を置かせて頂きます。